韓国麗水のことが知りたい

わけありで麗水のことを知りたいと思っています
過去にエキスポがあったことくらいしか知りません
もっと詳しく、できれば麗水の日常がどんなものなのか知りたいです

新しい年を迎えて思うこと

本来は「新年あけましておめでとうございます」という挨拶をしなければならないのでしょうけれどまだ「おめでたい」気分にはなれません。
忘れられない日から過ぎていく日々、ただ坦々と流れていきます。
年末にはいつも年賀状の印刷を彼女から頼まれていましたがその日程は必要ありませんでした。
結構わがままな依頼主だった彼女、たいてい百数十枚の年賀状を印刷するのに一日以上かかっていました。
「今後どんな関係になっても、どんなに遠くに行っても必ず年賀状だけは作りに来ること、私が死ぬまでずっと約束よ」と言っていた彼女。
その言葉を思い出すたびまた涙がこぼれてしまいます。


前回書いていた彼女の娘さんたちにようやく会うことができました。
11月の中旬に2週間の予定で来日してくれました。
彼女がお世話になっていた方 大貫さんと連絡をとり、昇柱さんから預かっていた書類を受け取り昇柱さんが死亡したことの手続きを進めたようです。
私にも連絡があり、11月の下旬に会うことができました。
土曜日の午後一時半に昇柱さんの日暮里のマンションで夕方まで昇柱さんのことを話してきました。
娘さんたちは それぞれ金さんとなりますが 日本語はほんの少し妹の金さんがわかる程度で日本語のわかる方と一緒に通訳をしていただきながらの会話でした。
娘さんたちは約十年昇柱さんとは連絡を取り合っていなかったそうです。
私の手元にもありますが昇柱さんと娘さんたちが晴れ着で写っている写真、娘さんたちが来日した際に記念に撮った写真ですがこれが約十年前、そのあとはほとんど連絡しあわなかったそうです。
まさかそんな状態だとは思っていませんでしたので正直驚きました。
日本で私の知っている彼女のことを思い出しながら少しずつ話しているうち夕方に。
お姉さん金さんは今年3月に出産予定ということで再会を約束しつつ帰路につきました。


彼女はいま麗水の公共の霊廟にいるそうです。
私が近い将来会いに行きたい旨を知らせると「ぜひ来てください、その時は案内しますので連絡ください」と金さんに言っていただけました。
正直韓国に行ってどうやって彼女のところまでたどり着こうか、それ以前にどうやって韓国に行こうか、というところから悩んでいたことがいっぺんに解消しました。


少しずつ時間が経過することによって心の傷は癒されるのでしょうか?
このままずっと彼女を思い続けていくのでしょう。
ある意味そんなに長い時間は必要ないかもしれません。
私の寿命が尽きるまで長くても二、三十年でしょう。
もしかしたらもっと早いかもしれません。
どんな形であれ彼女の近くに行けるのならばと思いながら日々を過ごしていきましょう。

ちょっとした進展

もう2か月が過ぎました。
まだまだ思いはつのるばかりです。
しかし亡くなった事実を再確認しなければならないことがありました。


彼女には娘さんが二人います。
若いころ韓国で結婚していた時のお子さんたちです。
その後離婚しそのお子さんたちはお父さんのもとで大きくなっていきました。
そのお父さん、(彼女の元夫)が数年前病気で亡くなられてしまいました。
当時まだ学生だった二人の娘さんたちは学費などまだまだお金のかかる時期を抱えていてその負担を彼女が負うということになったようです。確か高校生と大学生だった二人の学費だけでも半年に五十万円ほどであったと聞いていました。
ぎりぎりの生活で仕事も目いっぱいして「あと数年間だから頑張る」といっていた言葉がよみがえります。
そうして無事卒業まで面倒を見たようです。


彼女のことを日本で面倒を見てくれていた方と彼女が亡くなってから初めて会って話をした時のことです。
その方が「娘たちはこのことを知っているのだろうか?」と心配されなんとか連絡する方法はないだろうかと言われました。
実際私は写真でしか見たことはなかったしまして連絡先なども聞いてはいませんでした。
彼女がこんなことになることは予想もしていませんでしたし「いずれそのうち時間ができれば会うこともあるのかな」、くらいの気持ちでいましたので連絡先を知る必要はなかったのです。
万一のことを考えてもう少し彼女の韓国でのことよく聞いておけばよかったといまさらながら後悔しています。


そして海辺の砂浜の中から小さな宝石を見つけ出すような気持ちでFacebookやTwitter、韓国との情報サイトなどにうろ覚えの娘たちの名前と彼女の名前をあげてみましたがやはり結果はでませんでした。
ところが先日韓国の女性から私のFacebookに友達申請がありその名前から娘さんの一人かなと思われましたので早速申請を受け入れ連絡を取り合ったところようやく見つけられました。


お互い核心に触れることをためらいながら彼女の娘であること、私は彼女と親しくしてもらっていたものであることを知らせあい彼女の亡くなったこともすでに知っていたことも分かりました。


娘さんたちのうち妹さんと今連絡を取り合っていますが、日本での彼女が亡くなったことで必要な手続きや遺産(負債なども含めて)遺品の整理を行いたいといっています。


彼女の死を再確認しなければならないことでしたが一方では手を付けられなかった彼女が残していったものを整理できる安心感を持てました。


これからは娘さんと彼女の面倒を見てくれていた方とで少しずつかたずいていくことでしょう。
あとは娘さんに彼女の眠っているところを聞いて会いに行きたいと思います。

生きていくこと

この世に生を受けた以上人生が終わるまで生きていかなければならない。
当たり前のことですが最近生きていくことの大変さが身に沁みます。
日本人の平均寿命は70歳とか80歳とか言われていますが私が今55歳にしてこの先どうしようかと思う時が多々あります。
彼女を亡くしてからはさらに強まっています。
かといって自殺を考えるわけでもなし、自然に亡くなれる時を待つしかありません。
彼女のように事故で亡くなったり、病気で亡くなったり、それもまだまだ「生きたい」と強く思っていた人たちにすれば罰当たりな考えです。
そして世界を見れば飢餓や戦争で亡くなる人たちも多くいます。
こんな平和な日本でのうのうと暮らしながらこんなことを思う自分はいったい何なのかと思うこともあります。
まだまだ人間としては半人前で何かを成し遂げたわけでもなく、人生をやり切ったという充実感があるわけでもなくただただ「もう人間はいいかな」と思うこの頃です。
実は彼女を亡くす前からこんな状態でした。
そんな時「夢はないの?」と彼女から聞かれた私はしばらく考えてみましたが見つかりませんでした。
今思えばそんな彼女との時間がこのさきずっと続いていくことは当たり前のこととしてしか考えていなかったのだとわかりました。
そのとき「あなたとずっとこのまま一緒に年老いていくこと」と答えていたら少しは状況が変わったかも・・・などと今更ながら後悔しています。


今朝小林麻央さんの記事を見かけました。
乳がんで闘病中の麻央さんの「生きたい」という言葉をみました。
彼女が亡くなったと聞いた時もそうでしたがなぜこんなに人生は不公平なのでしょうか?
生きたいと強く願っている人はそれだけで生きていく価値があると思います。
それに引き換え私はもうどうでもいいやと考えながら生きています。
できることなら彼女にも麻央さんにも私のいらなくなった部分の「人生」をあげたいです。


今日は私が聞いた彼女が亡くなった日から49日がたちました。
夜明け前から彼女とよく飲んだチャミスルを飲みました。
彼女の写真の前にグラスを置き寂しい乾杯をしました。
もうそろそろ自分の中の「何か」を探して次の一歩にしなければと思ってはいますが・・・。